あれから、12年、13回忌となりましたね。12年前、みなさんは、いかがしていま したか?自分は、この震災を期に、関西に行き、多くの建物の耐震診断をしてきました。 すごく、遠い日の事のようですが、あの光景は、昨日のように思い出されます。
あの日、妹が、まだ寝ている自分を叩き起こして、「大変だよ!」と、部屋に飛び込ん できて、TVをつけました。そこにあったのは、まるで地獄絵でしたね。自分の目を疑 い、目の前の映像が、本当に起こっている事なのか?疑いもしました。
それから、関西の友達に電話を、何度も、入れたのですが、とにかく、つながらず、諦 めました。後で、「どうして、電話1本入れてくれなかったんだ」と、一方的に怒られ、 「そんな奴だとは思わなかった」と、嫌われてしまいました。ひどいものです。この事 で、関西人を嫌いになりました。
この震災で、関西の建築構造関係者は、皆、自信を失っていました。自分の設計した建 物が、ことごとく破壊され、跡形もなくなった姿に。そんな事もあり、建物の調査関係の 仕事を手伝い、耐震診断の規準作成にも係わりました。
とにかく多忙でした。この頃、自分は、体を壊した物と言えると思います。徹夜した事 もありますし、夜帰ってから、一人暮らしなので、洗濯などの家事をして、ご飯わ炊く と、食べられるまでに時間が掛かることから、だんだんコンビニ弁当になって行きまし た。お昼も、外食でしたし。体壊しますね。
阪神大震災では、建築基準法で規定されている地震力より、はるかに大きな揺れが、し かも、地表浅いところが震源で、その予兆も無く、短周期の強烈な縦揺れがあったもの と、想像されます。専門家の間では、公表のマグニチュードよりも、実際は、かなり大き く、測定不能だったのが、現実だったと、本当かどうかは定かではありませんが、聞きま した。
建物は、いくら丈夫に造っても、それ以上の災害はやってきます。そういうと、建てる のは難しくなりますが、そんな時も、避難経路を確保したり、なんらかの方法で、必ず人 の命を守れる建物を造りたいですね。
震災の被害者で、お亡くなりになられた方々に、あらためてご冥福を。。。
阪神大震災より12年
旧ERIEの腎臓病闘病日記
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