臓器移植に想うこと

今朝の新聞一面に、大きく「臓器移植 進まぬ理解」と題して、県内の腎臓移植につ いての記事があった。その記事によると、この1年で、移植は、4件。そのうち、脳 死からの移植はゼロだったと。周辺の各県は、人口比率により、96〜17人と、本 県は、極端に少ないそうだ。現在、県内では、180人強の人が、腎臓移植を待って いるそうだ。 自分は、いつも移植の記事を目にすると、「早く死ね!」と言っているようで・・人 が死ぬのを待っている人が大勢いるかと思うと、ゾッとする。実際、待っているんだ よねぇ。おそろしい・・。この世の中、死に神が沢山いる。すごくコワイことだと思 う。それが、当たり前の状態になっているんだよね。 まだ、腎機能の残っている自分にとって、移植は、全く考えていないし、例え、移植 したとしても、一度壊した腎臓、また壊れるかもしれない・・そう思うと、提供して 頂いた人にも、申し訳ないので、今のところ考えていないが、世の中には、自分の知 らない所で、どうしても移植を必要としている方々が、おられるのでしょうねぇ。想 像はつきませんが。。。 そういう方々にとっては、死活問題・・あれ?提供者が死ぬのを待っている人が、死 活問題って言うのも変か?でも、そういう気持ちなのかな?自分には、到底理解出来 ない世界だ。 そのうち理解できるような時期が来るのだろうか??ちょっと、おそろしいが。。 体を壊したのは、なんらかの原因があって、それなりに壊してしまったもので、それ をどがえしにして、腎臓くれって言うのは、どうかと思う。今だから言える言葉かも 知れない。これが、自分も、もっと悪くなって、でも、仕事もしなくてはならない、 透析にも通わないと、となったら、考え方も変わるのだろうか?たぶん、変わらない と思う。 なんか、コワイ話だと思いませんか?

旧ERIEの腎臓病闘病日記

旧ocnブログの記事をアップして置きます。写真・コメントなどは、インポートできなかったようです。 現在のブログ、このブログの続きは、上のAmebloより、おいで下さい。お待ちしております。